Web ネイチャーランブリング
第9回 樹 液
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ブナの樹に大きな傷ができていました。
そこから滲み出した樹液が凍っています。
どんな原因で生じた傷なのでしょうか、
幹の裂け目を中心に剥がれた樹皮が、
なんとも痛々しく目に映ります。
黒ずんだ樹液が、その傷口を覆うように広がっており、
凍りついた表面をこんもりと盛り上げていました。
樹の肌に滲んだ樹液自体は見るからに粘度が高そうで、
触れるまでもなくねばねばとした印象なのですが、
凍った部分はただの氷塊のようにも見えます。
樹液に含まれる水分のみが氷結したのでしょうか。
あるいは樹上から幹を伝って流れてくる「樹幹流」が滞留し、
凍結したものなのでしょうか。
いくつか垂れ下がった氷柱(つらら)の先端を見てみると、
やや濁りを帯びた、薄い琥珀色をしているのがわかりました。
子供の頃、カブトムシやクワガタムシ、
カミキリムシなどの甲虫を求めて、
樹液の出ている樹を訪れた人は少なくないでしょう。
雑木林の主役であるクヌギやコナラなどの樹液には、
多糖類がたっぷり含まれているので、
それを目あてに虫たちはやってくるのです。
樹の吐き出したどろどろの液体に群がる昆虫を見ていると、
子供心にも、これはきっと彼らにとって
うんと甘味な液体なんだろう、と思ったものでした。
あたりに漂っていた、ツンと甘酸っぱい匂いもまた、
その思いをさらに強めてくれました。
ホットケーキにかけるメープルシロップは、
北米原産の樹であるサトウカエデの樹液を春先に集めて煮詰め、
そこに含まれる高濃度の糖類を濃縮したものです。
日本に自生するカエデの仲間から
シロップが採取されるという話はあまり聞きませんが、
樹液の糖分は他種に比較して高いのでしょう、
この季節は氷柱となった樹液をもとめて、
よくエナガやコガラ、ヒヨドリ、アカゲラといった
野鳥たちがやってきます。
時にリスが熱心に舐めているのを見かけることもありますし、
ガリガリと齧っているものもいます。
まるで天然のアイスキャンディのようですね。
雪ン子のようなエナガやコガラが、
垂れ下がった氷柱の先端から垂れる滴を飲むために、
せっせと羽を動かして停空飛翔(ホバリング)していることも。
そのさまはまこと愛らしく、
冬の森のランブリングで楽しめる小さなイベントのひとつです。
何らかの理由で樹皮が傷つくと、そこから樹液が滲んできます。
テルペン類、アルコール、脂肪酸、アミノ酸類、糖類、
そしてタンパク質などなど、樹液は実に複雑な成分からできていて、
種類によってその内容も大きく異なっているといわれます。
樹液が乾燥したり、成分が重なり合うなどの二次的な変化を起こすと、
「やに」状の物質である樹脂となります。
テルペン類と呼ばれる物質には抗菌作用のあることが知られており、
病気を引き起こす菌から身を守る役目を果たします。
また、樹脂は傷口をふさいで菌の侵入を防ぎ、治癒しようとします。
傷ついた樹が液体を滲ませるのは我が身を保護するためであって、
何も昆虫のためでも鳥のためでもないのですが、
結果的にはいろいろな森の生きものが目ざとくそれを利用しており、
特に冬の間には大切な糧となっているというわけです。
樹液の氷の中に閉じ込められたいくつもの気泡が、
午後の陽を浴びて鈍く輝いています。
これをルーペやマクロレンズなどで観察してみると、
思わぬ美しさや不思議なデザインにハッとさせられることがあります。
ブナの「樹液アイス」に鳥や虫がやってくるのを、
残念ながら私はまだ目にしたことがないのですが、
冬の森のユニークな造形として楽しんでいるもののひとつです。
寒さの厳しい季節の森は、一見華やかなものが何もないようで、
どこかうら寂しい雰囲気の漂うこともあります。
しかしどうしてどうして、
あたりをゆっくり見回しながら歩いていけば、
きっと出逢えることでしょう。
ちょっと意外な面白さを秘めたあれこれに。


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