web ネイチャーランブリング 第64回 雪の肌

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第64回 雪の肌

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  関東で少年時代のほとんどを過ごした私にとって、かつて雪は憧れでした。
  初めて北海道を訪れた時には、一面に広がる雪景色に感動したものです。
  けれど二十年以上も雪国で生活していると、さすがに思いも違ってきます。
  豪雪後の雪かきの大変さ、春先の雪どけ道のやっかいさ。
  なにより車に乗るようになってからは、雪道は非常にオッカナイものとなりました。
  いまでは雪イコール「面倒な存在」です。すぐに「除雪」を連想してしまいます。
  すこぶるやっかいな「排除」の対象で、のんきに眺めてなどいられません。

  もっとも、世の中には雪かきを生きがいのようにしている人物もいるようです。
  以前に住んでいた家の向かいには、まさにそうしたジイさんがおりました。
  せっせと雪をかくのは当人の自由ですが、なにせそのジイさんときたら、
  雪を徹底的に排除、アスファルトが見えるまで満足しません。
  路面をスコップでガリガリと執拗に引っ掻き続けます。
  神経に響く騒音が響き渡り、しかもその「仕上げ」ときたらもはや壮絶です。
  どうにもこうにも耳ざわりです。それだけで雪の到来に鬱々となったほどでした。
  積もらないと手持ち無沙汰になるのでしょう。ほんの少しでもふれば即ガリガリ。
  朝まだ暗いうちから、なんと夜、暗くなるまでやっています。
  降りだすと止むのを待たず飛び出してきて、こうなるともう偏執狂に近いですね。
  いったいなんだってそんなにしつこく雪を除けきらねば気が済まないのか。
  心底、辟易する思いでしたが、そういうヒトも世の中にはいるのですね。

  ものぐさな私は、雪かきなんて通路以外できればまったくやりたくありません。
  どうせ降るものは降るでありますし、積もるものは積もるのです。
  いずれ春になればいやでも溶ける……とはいえ、やはり近所の手前もあります。
  ハタ迷惑になってもちとまずい。身勝手さも、町暮らしではそうそう通りません。
  なので晴れた日に折をみて一気呵成、常識的な範囲での処理をすみやかに。
  町に住んでいると、人と雪とのつきあいは、かくもやっかいであります。
  北国においては、しかしそれも、どうにも仕方のないことでもあります。

  ただそんな憂欝も、一歩フィールドに出れば異質のもの。
  そこはもう雪の方が主役なのです。むしろ雪が優勢の世界なのであって、
  ともすれば「排除」されてしかるべきは、ヒトの方なのです。
  なめてかかると、命さえも奪われかねません。
  しかしそれゆえに「雪の美を愛でる」などという、いささか浮世ばなれしたような
  ちょっと特殊な感慨もまた、ここに成立するというわけです。
  実際、野外では雪の美しさに魅了されることが、しばしばあります。
  特に、新雪のもつ処女性、聖性ときたら、言葉には尽くせないほどです。
  日々の雪かきだけでは到底味わうことのないであろう、一種独特のおもむき。
  時には、雪のそんな一面を愉しむというのも、また悪くはありません

  冬の森に出かけてみると、個性的な雪に目を瞠(みは)らされます。
  生まれたばかりの雪。幼い雪。壮年の雪。老いた雪。
  清潔感あふれる高貴な雪。繊細な芸術家肌の雪。
  荒々しい山男風の雪。なまめかしい女性の雪。硬質な美少女の雪。
  いまではあまり耳にすることも少なくなりましたが、日本には雪を表す言葉として、
  細雪(ささめゆき)・綿雪・牡丹雪・淡雪(あわゆき)・斑雪(はだれゆき)など、
  実に多彩で、叙情的なものがありました。
  北国では身近な存在である雪を、昔日には画一的、単一的なものではなく、
  それぞれ個性あるものとして見ていたのだ、ということがよくわかりますね。

  かつて、豊穣な自然のイメージを聖書になぞらえた世界で表現した、
  先駆的な天才ネイチャーフォトグラファーがいました。
  その名をエルンスト・ハースといいます。
  彼の作品には、ある有名な雪の写真があります。
  川原の雪がうねる造形美を、女性の背面ヌードに見立て表現した一枚です。
  これは、ものすごい作品でした。
  思わず指でふれたくなるような、なだらかなスロープ。しかしふれることはできない。
  ふれれば、毀(こわ)れて、溶けてしまう。すべてがそこなわれてしまう。……
  そんな雪の持つ聖性、はかなさを、清楚なエロチシズムで描いてみせたのです。
  潔癖な色香を放つ、その「雪の肌」は、これまでたくさんの人々を魅了してきました。
  その後、多くの写真家が、このハース作品の真似をしました。
  「雪の裸女」をモチーフとした作品は、すべてハースの作品が原点といっても、
  おそらく過言ではないでしょう。

  道路脇へどさりと積まれた煤けた雪、スキー場の単調な雪ばかり見ていると、
  森や川の冷たく、あたたかみのある「雪の肌」が恋しくなってきます。
  その肌のやわらかさを、なんとか表現してみたい、自分のものにしてみたいと、
  ある種、くるおしい思いにすら、とらわれることがあります。
  それが「雪をめでる」ということなのだろうと、私はそんなふうに思っているのです

(写真・文/河井大輔)