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第63回 ドライフラワーll
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一気に冬を迎えた野辺で、ちょっと素敵なアートを見つけました。
枯れた花の穂が残った、シンプルなデザイン。
天然のドライフラワーです。
周辺は、強い風雪によって枯れた草木の大半が雪に埋もれています。
すっくと伸びた二本の茎。そのまわりに散らされた、白く乾いた花と細い枝。
一見、ごちゃごちゃと猥雑なようでいて、
何となくある一定の約束事のもとで、まとまっているようにも見えました。
雪曇の下、うっすらとした逆光。仰角度で見つめると、
なんともいえない造形美をたたえています。
枯れた草花でありながら、なぜ、かようにも綺麗なのかと思いました。
芽だし、成長、繁茂、成熟、実り、枯れ、消滅。
消滅の一歩手前、惨めったらしいのかといえば、まったく逆で、
背筋をはったような壮麗さがあります。
飾りや艶めきをいっさい落とした、老いの潔さとでもいうべきものでしょうか。
それでカメラを向けました。気に入った、真冬の一枚となりました。
冬の枯れ花もまた、かくも魅力的なのです。
野辺の小さな草木や花に妖精が宿る……。
いつだったか、英国を旅した時、そんな話を耳にしました。
「妖精」だなどというと、日本ではすぐにオトギバナシ的なもの、
どちらかといえば愛らしく、メルヘンチックな印象で語られがちなものでしょう。
ところがあちらでは、妖精がみなピーターパンの仲間というわけでもないようで、
むしろ超自然的な存在の代名詞──とでも理解した方が、
通りのよいという場合も、どうも少なくはありません。
むしろおっかないもの、得体の知れぬもの、不思議なものがたくさんあるのです。
どういうわけか、私は昔から自然に、いつも何か正体のよくわからない、
何かの存在の気配を感じて仕方がない……という、いささか妙な性分の持ち主です。
そのため、そんな妖精譚には、異国のことながら大いに共感できる部分があります。
「トトロ」や「もののけ」のおかげで、なんだか最近では、このテのお話も、
ずいぶんと陳腐なものになりつつありますので、あまり口にしたくはないのですが、
どんなに行き慣れた身近な森でも、ふと気がつくと、ざわざわとした気配を感じて、
思わずぞくりとさせられるようなことが、しばしばあります。感覚的なもの、です。
ところが誰かと一緒の時には、ほとんどそういうことがありません。
私が人一倍臆病なだけのこと、なのかもしれません。
ただ、自分のそうした感覚がもたらしてくれるものが、常におどろおどろしたものばかり、
というわけでもないというのは、楽しいことです。時にはよい出逢いもあります。

冬の野辺で、ひらりと何かが視界の端で跳ねたような気がしました。
すぐにそちらへ目をやったが、鳥でも、ノネズミでもありません。
べつに生きものらしき影は、どこにも見あたらないのです。
経験上、そのような時には、すぐにその場を後にしないようにしています。
それは、何かがそっと「袖をひいた」のだと考えることにしているからです。
しばらくそのあたりに腰をおろしたりなどして、視線をただよわせてみます。
とりたてて、どうという場所ではありません。
と、雪雲の隙間から斜光が差し込み、あたり一面に穏やかな柑橘色が広がりました。
瞬間、思わず息を呑み込みました。
先刻まで、目の前で何の変哲もなく風に揺れていた枯れ草が、
仄かな輝きをまとい、華やかな舞いを見せはじめたのです。
それは冬の野辺に突然現われた、可憐な「踊り子」の姿でした。
その時、私は「ああ、自分はいま妖精に出逢ったのだな」と思ったのです。
こういうこともまた、ネイチャーランブリングにおける愉楽のひとつなのです。


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