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第36回 田代平湿原のワタスゲ

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  田代平湿原(たしろたいしつげん)は、
  いまから数十万年前の遠い遠い昔、
  八甲田の火山活動によって生まれたカルデラ湖が、
  長い年月の間に湿地と化したもので、
  数ある八甲田山系の湿原の中でも、最大の面積を誇っています。

  標高は約560メートル、
  北八甲田山系・赤倉岳の北東部、国立公園の北端に位置しており、
  ヤチヤナギやヌマガヤ、ワタスゲなどの
  「中間湿原(ちゅうかんしつげん)」をベースに池塘(ちとう)が点在、
  そこにミズゴケの「高層湿原(こうそうしつげん)」や
  ヨシやスゲの「低層湿原(ていそうしつげん)」がセットで見られる
  貴重な湿生植物の生息地となっています。
  (青森市の天然記念物にも指定されています)

  ちなみに高層湿原というのは、雨や雪など、
  ほとんど栄養分を含まない水分によってのみ成り立っている湿原のこと。
  冷涼な気候によって、沼地で枯れた植物が分解されぬまま次第に堆積し、
  もともとの水位よりも高くなった、いたって特殊な環境です。

  栄養分に乏しいので生育できる植物や動物は限られていますが、
  田代平ではヒメシャクナゲ、モウセンゴケなどの植物を筆頭に、
  両生類ではモリアオガエルやタゴガエル、
  魚ではドジョウ、昆虫ではマツモムシやゲンゴロウ、各種トンボ類、
  そして鳥ではのどかなカッコウや、
  けたたましい声で鳴くオオジシギなどが見られます。
  6月中旬のいまはワタスゲとレンゲツツジの花がさかりを迎え、
  ニッコウキスゲのつぼみが膨らみだしています。



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  ワタスゲは「綿菅」と書きます。
  頭につけた白い綿帽子が、そのまま名前のもとになっています。
  見た目そのままなので、わかりやすいですし、
  とても覚えやすい名称ですね。姿かたちもいたって特徴的です。
  5月の下旬から6月にかけて、すらりと細長い茎の先に、
  まんまるい白い穂をつけます。

  まとまって生えるところでは一面が白くなるほどなので、
  誰の目にもとまります。
  たくさんの白い綿帽子が、湿原をわたる風にそよぐ光景は、
  とても涼やかで牧歌的ではありませんか。
  高原のイメージにはぴったりで、
  初夏の湿原を代表する存在として世間一般にも広く知られていいます。

  そのせいでしょうか、白い穂をつけるようになると、
  便宜的に「ワタスゲの花が咲きましたよ」と紹介されることも、
  少なくはないようです。別にそれはそれでいいような気もしますし、
  いちいち理屈っぽくツマラナイ突っ込みを入れるのもナンですが、
  「ワタスゲの花が白く揺れている」という表現が、
  厳密にいうとまちがいであることは、
  おそらくはちょっと植物に関心のある人ならば御存知のことでしょう。

  白い綿帽子は、実は「花」ではなく、
  花の時期を終えたワタスゲの「実」から伸びてきた綿毛なのです。

  果実は綿毛の根元にあります。
  綿毛は、タネがうまく風に乗って飛ばされるためのしくみという訳です。
  ちょうど、花の終わったあとのタンポポの様子を
  思い浮かべて頂ければよいかと思います。
  タネをより遠くへと飛ばすための工夫という発想では、
  基本的には共通していますね。


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  ワタスゲの白い穂が、果実期のものであるというのなら、
  その前にちゃんと花の時期があるはずです。
  ワタスゲの花といえば、ふつうは白い綿毛を思います。
  では、本当の花というのは、どんなものなのでしょう。

  スゲの仲間の花は、一見したところ地味なので、
  しかも春まだ早い頃にひっそりと咲くので、
  よく気をつけていないと、ついつい見過ごしてしまいがちです。

  でも、雪どけ間もない頃ならば、
  たとえば奥入瀬渓流沿いの遊歩道の路傍などにも、
  黄色い雄しべを伸ばした、地味ながらも端整な美しさを持った
  「スゲの花」が、たくさん咲いています。

  見る機会は、決して少なくはありません。
  要は、気づくか気づかないか、です。ワタスゲの花も同じです。

  春先、ワタスゲの花の黄色い雄しべが房状になると、
  他には咲いている花が見られないことからも、
  実は結構よく目立つ存在でもあります。
  そういう目、で見ればいろいろなものが見えてきますね。

  ワタスゲの別名に「スズメノケヤリ(雀の毛槍)」というのがありますが、
  初めてこのことを知ったとき、
  白いふわふわした綿毛が、どうして「スズメの槍」になるのかなあ、と
  首をかしげたものでした。

  この名前は果実期ではなく、花期の黄色い花の様子が、
  かつて大名行列の時などにお目見えした、
  毛槍(先端に鳥の羽や獣毛などの飾りを垂らしたもの)に
  似ることからつけられた別称だったのです。

  もっとも、イグサの仲間にもスズメノヤリ(雀の槍)という名の
  別の植物があるので、混乱を避けるためにも、
  やっぱりワタスゲは、ワタスゲという名のままがよいですね。


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  まったくの余談となりますが、
  先日、田代平でワタスゲを見て歩いていたとき、
  かつて世間をにぎわせたナゾの物体
  「ケセランパセラン」のことを思い出しました。
  ケセランパセラン(またはケサランパサラン)をご存知でしょうか?

  江戸時代以降の民間伝承上に現れる謎の物体(生物?)とされています。
  うーん、アヤシイですね。

  その外観は、まさにワタスゲの穂のようで、
  空中を漂っている「白い毛のかたまり」であるといわれています。
  小さな妖力を持つ妖怪であるとも、
  あるいは未確認生物などとして扱われることもあるというのですが、
  さすがにここまでいくと眉唾もの。

  ただ、民俗伝承譚としては歴史があり、
  古来、桐の箱の中で「おしろい」を与えると飼育できるとか、
  持ち主に幸福を呼ぶものであるとか、けれども人にむやみに見せると
  その効果は消えてしまうといった、
  いわば「座敷わらし」的な存在として伝承されてきたもののようです。

  1970年代の後半に、このケセランパセランは全国的なブームとなりました。
  例によってテレビの影響ですが、
  この時ケセランパセランとされた物の多くは植物の穂で、
  UFOブーム同様ただの悪ノリの感がありました。

  ただし東北の日本海側では、古くから「てんさらばさら」と呼ばれる、
  同様の物体と伝承が伝えられており、
  こちらは「捕食されたノウサギの毛塊」であることを、
  山形県の文化財専門委員が明らかにしています。

  寒冷な地域においては、雪上に残った生皮が縮まり、
  白い毛を外側にして綺麗に丸くなるというのです。
  不思議ですね。

  ──さてワタスゲの穂は、一見したところ、
  どれもすべて同じように見えるのですが、
  実はそれぞれわずかながら個性(?)のようなものがあるのです。
  たとえば、小さめだったり大きめだったり、
  毛が厚めだったり薄めだったりなど、まあその程度なのですが、
  時折すごく立派な毛玉があったりもします。

  そんなものを見つけてしまうと私は嬉しくなって、
  つい指先でその柔らかな感触を楽しんでしまうのですが、
  そんな時に「てんさらばさら」そして「ケセランパセラン」のことを
  思い出してしまうのです。

  ところが同行していた年若の友人ガイドにその話をしたところ、
  なんとも怪訝なカオをされてしまいました。
  いやあ、話題がチト古過ぎましたですかなアと、
  自分の年齢を感じさせられもした一幕でありました。

(写真・文/河井大輔)