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第28回 奥入瀬のシノリガモ【前編】
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奥入瀬渓流沿いの遊歩道を散策している時、
水鳥が目の前を通り過ぎていきました。
紺色をした美麗なカモです。
上流から下流へと向かって、滑るように翔んでいきました。
この春、はじめて目にしたシノリガモでした。
どうやら、今年も無事にやってきたようです。
芽吹き前の淡い色の森を背景に、
その深く濃い色あいが、ことのほか目にしみました。
奥入瀬渓流を回廊に、上流の十和田湖と下流の焼山とを
時おり往来しているようすで、
蔦川との合流点(焼山)付近では、
雌雄のペアで仲良く岩上に休む姿が見られます。
冬鳥であるカモの仲間たちは、
その多くが春になると故郷の北国へと去っていくのですが、
奥入瀬の周辺では、何種類かの水禽(すいきん)類が巣を構え、
子育てをしています。
シノリガモも、そのひとつです。
深みのある濃い藍色に赤栗色。そして鮮やかな顔の白紋。
奥入瀬の森と水と共に生きる、たいへん美しい水鳥です。
春から初夏にかけて姿を見せ、
盛夏を迎える前にはヒナをたちと共に、
またいずこへともなく去っていってしまいます。
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シノリガモとは、ちょっと変わった名前です。
はてさてシノリとは、いったいどういう意味でしょう。
漢字では「晨鴨」と書きます。
中国名表記ですが、そのまま日本名にも使われています。
しかし「晨」の読み方は「シン」であり、
漢和辞典にも「しのり」と読むとは記されていません。
調べてみると、実はこれは山形地方の方言であり、
「日和」のことであるといいます。
では、初めはシノリガモならぬ、
ヒヨリガモだったのでしょうか?
──でも、ますます意味がわかりませんね。
そこで「晨」の字義を調べてみました。
すると「太陽が奮い立って昇る朝」であることが判明。
ゆえに「晨」の字は「あした」とも読まれます。
ここまできてようやく、ははーんと思いあたりました。
シノリガモの顔には、良く目立つ丸い白斑があります。
おそらくは、それを「日の出の太陽」に見たてたもの、
ではないのでしょうか。
「晨鴨」が、山形風に「シノリガモ」と呼ばれるようになった、
その経緯こそ不明ですが、野外でこの鳥を観ていると、
顔の白紋は確かに際立っています。
ただこれには別の見解もあるようです。
「晨」とは中国で「星」を示す言葉。
シノリガモの白斑を正座に見立てた名前という説です。
全身の濃い藍色が、夜空を表している、といわれます。
また、和名呼称であるシノリに対しては
「舐海苔」の意であるとの興味深い見方があります。
シノリガモの繁殖地は国内でも限定されており、
通常は冬になると荒磯の海岸に姿を見せ、
そこで冬を越すものとして知られます。
荒磯において魚や貝や甲殻類、そして岩に付いた海苔など
海藻を食べています。その際、嘴でこそぎ落とす様子が、
まるで「海苔を舐めている」ようだと
いにしえの人は見たのでは、というものです。
なるほど、説得力がありますね。
鳥の名前ひとつにも、実はいろいろな見解があり、
面白いエピソードが秘められています。
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一方、このカモの英名はハーレクインダックといいます。
こちらはすぐに覚えられそうです。
ハーレクインとは「若い魔術師」「若くてカッコよい恋人役」の
定型であるといわれます。
かつて女性たちの間で一世を風靡した、
あの愛の小説集「ハーレクイン・ロマンス」もそうです。
もともとは、イタリアの若き道化師が原型であるそう。
なるほどこのダック、顔の白い紋様は、
若く凛々しいピエロを連想させてやみません。
どうもこのあたり、鳥への命名のセンスは、
英国の方が一枚上手のようですね。
奥入瀬川のほとりで肩を寄せあうようにたたずみ、
常に外敵を警戒し、また他のオスから自分の相手を守ろうと
りりしくふるまうさまには、
やはり「朝陽のカモ」より「ロマンスのカモ」の方が、
しっくりくるように感じてしまうからです。
さてオスに較べ、メスの方はとても地味な色あいで、
全身薄い焦茶色をしているだけです。
これから雛を育てるという大役があるために、
なるべく目立たぬように控えているようです。
それでもシノリガモのトレードマークである、
ほっぺたの丸い白斑はちゃんとついています。
それがなんとも愛らしく、
雄々しきピエロと居並ぶ様子は、なんとも微笑ましいものです。
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シノリガモは日本だけで見られる鳥ではありません。
北方圏の広い範囲に分布している北国のカモです。
シベリア東部、ロシア極東、サハリン、カムチャツカ、
アリューシャン、アラスカ、カナダ、グリーンランド、
アイスランド、そして北米などでも繁殖しています。
こうしてみると、本当に「北の鳥」という感じがしますね。
日本で繁殖するシノリガモは、
おそらく世界でも最も南で繁殖するグループと考えられています。
冬になるとアジア東部、北米中部、西ヨーロッパ等の沿岸に渡り、
小さな群れをつくって冬を越します。
面白いことに、シノリガモは他のカモ類のように、
波のない穏やかな湖沼や河川ではあまり見かけません。
どういうわけか、わざわざ波の荒い岩場の海岸を好んで
越冬するのですから、変わっています。
波涛の打ち寄せる岩礁や磯のある海岸で、
しきりに潜水しては、ウニ、カニ、貝類などを捕食しています。
また、前述したように、磯の岩にへばりついた海苔などの海藻も
よく食しているようです。
かたや繁殖地では、急流において水生昆虫や、
周囲の森から落ちてくる陸生昆虫などを食べています。
それにしても、いったいどうしてそこまで、
荒い波のある環境を好んで選んでいるのか、不思議ですね。


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