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第40回 銀龍草

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  シダの生い茂る薄暗いブナの森に、
  今年もたくさんのギンリョウソウが姿を見せました。

  奥入瀬や蔦の森の林床(りんしょう)で、
  この不思議な植物の白装束がそこここで目立つようになるのは、
  おおむね5月の下旬くらいから6月の初め頃からでしょうか。

  いまではもうさかりも過ぎ、
  しおれたり汚れたりしているものが目につきだしていますが、
  いましばらくの夏のあいだは、まだ次々と新しいものが現れます。
  ちょっと探してみれば、森の底にぼんやりと浮かび上がる、
  まだ初々しい「白いもの」が見つかることでしょう。

  そのさまは、一見したところ、まさにキノコです。
  特にかたまって見られるところでは「にょきにょき生える」という
  表現がぴったりの、なんとも旺盛な生育ぶりです。

  ギンリョウソウという存在を初めて知ったのは、
  ずいぶん昔、まだ学生時代のことでした。
  ご多分にもれず、はじめはキノコかな、と思いました。
  ただ初の顔あわせで、
  すぐにその特異な風貌と雰囲気に、すっかり魅了されました。
  屈み込み、顔を近づけて見てみると、キノコのようでいて、
  でもキノコではなさそうだ、というくらいのことは、
  なんとなくではありますが、わかりました。

  全身真白でありながら、
  けれど「純白」というイメージにはどこかちょっと遠い感じの、
  なんとも不気味な魅力を秘めた植物でした。
  アルビノという言葉も頭に浮かびました。

  「お、ユウレイタケか」
  かがみこむ私の頭上でぽつりとそういったのは、
  その時一緒に歩いていた山の先輩です。
  「アレ、これってやっぱりキノコなんですか?」
  「いやキノコじゃない。花だよ。
  キノコみたいに見えるんだけど、ちゃんとした花だ」
  「初めて見るんですけど、なんだかちょっと薄気味の悪いところもありますね」
  その日のブナの森は、全体にほの暗く、
  朝からずっと小雨がしょぼついていました。
  「天気のせいも、あるのかなあ」と私。
  「幽霊っていうくらいだからな。気味も悪いはずさ」
  「でも、ちょっと魅力的ですよね」
  私はそういって、指先でそっと撫で続けていました。
  ふれればすぐにも壊れてしまいそうな、
  硝子細工のように脆(もろ)い印象もまた、素敵だったのです。
  「そうそう、コイツは確か『フセイショクブツ』とかいってだな、
  簡単にいえば、死体の上に生えるんだ」
  「げっ。それじゃあ……」
  「そう、たぶんこの花の下には、何かの死骸が埋まってる……はずだ」
  「……ええッ?」
  私は伸ばしていた指を思わず引っ込め、後ずさりしていました。
  「し、シガイって、いったい何の?」
  「さあな。クマだか鳥だかネズミだか、あるいはヒトかもな、ふふふ」
  「げげっ」
  自分の顔が、さっと青ざめるのがわかりました。
  すぐにその場から離れたのは、いうまでもありません。


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  家に戻った私はさっそく花の図鑑を開いてみたのですが、
  当時はまともな植物の図鑑を持っていませんでした。
  手持ちの本にはそのような名の花はなく、全頁を開いても見当たりません。
  翌日、学校で植物専門の先生にお会いして、お話をうかがってみました。
  すると、山の先輩が口にしていた「ユウレイタケ」というのは俗名であり、
  本来はギンリョウソウ(銀龍草)と呼ばれる植物だということを知りました。
  なるほど鍵状にくびれた花筒は、
  鎌首をもたげた龍のように見えなくもありません。

  シャクジョウソウ科・イチヤクソウ科・ツツジ科と、
  分類体系により科は異なるようなのですが、
  「腐生植物」としてはもっとも有名なもののひとつで、
  日本全土に分布しています。

  色素はなく、全身透明感のある白一色。
  鱗片(りんぺん)状の葉が、茎にたくさん付いていますが、
  これも真ッ白。
  枝分かれはせず、先端に円筒形の花を一輪、
  ややうつむきかげんに咲かせます。
  この「うつむきかげん」というところが、龍でもあり、
  また幽霊をも想わせるひとつの特徴です。

  花は、わずかに薄紅を帯びるものもあると聞きますが、
  まだ目にしたことはありません。

  鎌首をもたげた龍の顔、
  すなわち花の先端から内部を覗き込むと、どきりとします。
  濃い紫色の「ひとつ目」に、じろりと睨まれるような気がするからです。
  それは雌しべの先端で、
  まわりを囲むように薄黄色の雄しべが居並んでいます。
  花筒を下から見てみないと、ちょっとわかりにくい、秘密のデザインです。

  見れば見るほどに、なるほど「銀龍草」とは、実によい名称だと思います。
  「幽霊茸」よりは、響きの方もよさそうです。
  しかしその幽寂な立ち姿を思うと、私にはやはり「幽霊」の名の方が
  ぴったりくるかも、そんな気もしていました。
  なんといっても、森の屍の上に生える、妖しい草花なのですから。

  そんな感想を口にすると、植物の先生はしばしきょとんとされていました。
  腐生植物とは、てっきり「腐った死体」の上に生えているもので、
  そこから養分を吸収している植物との意味にとらえていた間違いを、
  先生は笑いながらただしてくれたのでした。


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  多くの植物は、葉や茎で自ら光合成をおこない、
  それによってエネルギーを得ています。
  ところがそういう方法を取らず、
  外部から栄養を取り込んで暮らしている植物もあります。

  腐生植物の場合、落ち葉などの腐植した土壌から
  「ある生物」を経て、養分を得ています。
  しかし腐生植物というと、
  植物体に有機物を腐らせる力があるかのように思われがちです。

  そもそも「腐生」とは、ふつう菌類に対して使われる言葉です。
  生物の死体などを自ら分解して、栄養としている生活形態のことですね。

  ゆえにキノコのような形状をしたギンリョウソウも、
  かつては死物に寄生していると考えられていたこともあったそうです。
  おそらくは山の先輩も、そのあたりを言葉の印象もあって、
  カン違いをしていたのでしょう。

  しかし土の中にはいくら探してみても、
  ギンリョウソウが寄生する対象が存在しないのです。
  それで森の底の腐葉土(ふようど)から、
  養分を得ているのであろう、と思われたのです。

  現在でも、ときどきそのような説明を目にすることがあります。
  しかし彼らは土の中の有機物を、直接的に摂取しているわけではありません。
  何の助けもなしに、腐植土から栄養を得る力はないのです。
  ギンリョウソウ自体に、
  生物の死体を分解する力があるわけでは、なかったのです。

  では、ギンリョウソウに栄養分を届ける手助けをしている生物とは、
  いったい何なのでしょうか?

  それは菌類──ベニタケ属の菌類だったのです。
  葉緑素を持たぬがゆえに白く、
  光合成で自活する能力を持たないギンリョウソウは、
  根の部分に落ち葉の分解者である菌類を棲まわせ、
  そこから栄養を頂戴していたのでした。

  そればかりではありません。菌類は樹木とも共生しています。
  樹木が光合成で得た養分をも、ギンリョウソウは自らの根に棲まわせた
  菌類のネットワークを通じて入手しているらしいのです。

  彼らの生活スタイルは、実際には菌類との「共生」というよりも、
  むしろ「寄生」なのです。菌類に栄養のすべて依存しているのですから。
  菌類からのお裾分けを頂戴している、ともいえますね。
  逆に、腐生植物に恩恵をもたらしている菌類の側には、
  およそ何のメリットもないように思えます。

  ゆえに「寄生」と解釈されるわけですが、
  もしかすると、そこには私たちには想像もつかないような、
  何かもっと深い「事情」があるのかも知れません。

  妙齢の婦人の死装束あるいは死美人の花嫁衣裳
  ──そんなほのかな妖美さを身にまとい、
  奇怪にして幻想的なイメージのよく似あうギンリョウソウは、
  その生態もまた謎めいているのです。


(写真・文/河井大輔)